2011年3月16日水曜日

地震

ヴァンクーバーから帰国して,ドタバタしてたらもう春だ.いや北海道はまだだ.三月だというのに氷点下続き.しかも,二月半ばに温かい日が続いて雪がほとんど解けかけたのに,二月末から大雪が続き,またもや白銀の世界に逆戻り.そして地震.あの揺れはほんとに気持ちの悪いものだった.地震には慣れているつもり.生まれ育った千葉は震度3とか4とか5とかは割とフツーにあった.阪神淡路大震災の時は奈良にいた.あの時の揺れも結構なもんだったが、千葉で地震慣れしてたからそんなに大変ことだとは思わなかった.
そして今回.鉄筋コンクリート建て6Fの4Fに居たのだけど,そりゃあ気持ち悪い揺れ方だった.P波による縦揺れはほとんどなくて,いきなりS波による大きな横揺れ.しかもかなり長かった.ただまあそれほど大きなものだとは思わず,〆切り間近の論文を書き続けてた.そしたら部屋の外でみんなが大騒ぎをしている.そして妻から電話.妻の実家は奈良.そして神大の出身.阪神淡路大震災の時は実家で寝ていたが,多くの友人を亡くしている.もうすでに涙声.今は娘の懇談会で,娘の小学校だと言う.だけど娘はもう帰った後.家に電話しても出ないのだと言う.とりあえず,オレは無事だと落ち着かせて電話を切る.そしてすぐに家に電話.話し中.で,妻にメールをすると,家に娘がちゃんと帰ってるとのこと.懇談会もなくなり,家に帰るとのこと.子供たちを見て安心したようだ.中学生の息子も,すぐに帰されたそうだ.千葉に住む母親からも大丈夫だというメール.東京・大阪圏の大学・大学院時代の友人たちからも無事だと言うメールがある.まあ,一人,昨夜の飲み過ぎで頭がふらふらしてるのだと思ったという不謹慎な奴もおったが.
この震災で亡くなった人たち,怪我をした人たち,怪我はしなかったけど家や家族,友人を失った人たち.被災した人たちは様々なだが,それまで続いていた日常生活が瞬時にして途絶え,非日常に変わったことに変わりはない.それに対して私の日常生活は連続している.それゆえに日常生活が断絶してしまった人たちがこの国に今この瞬間いることを,ともすれば忘れがちだ.確かに自然の猛威の前に人間は無力だ.しかし,この震災の中で,被災者の救援にあたっている人たちが,国内のみならず世界中から集まっている.私たちは自然の前では無力かもしれないが,人間に対しては微力であっても無力ではない.私の微力をどのように使うべきか?献金?それも今すぐできる一つの手だ.しかしもっと被災した人たちの心に届くような方法はないものだろうか?もう少し自分にできることを考えてみたい.