2011年6月7日火曜日

音楽と言葉

一年ほど前までアマチュアオーケストラでコントラバスを弾いてたが,バドミントンの方が忙しくなって退団した.バドミントンの上達はここ十年が勝負.でも楽器は退職してもできると考えた.といっても楽器の練習まで辞めてしまったわけではなく,今でもピアノ,ヴァイオリン,時々コントラバスの練習をしてから出勤する毎日.楽器の練習は,バドミントンの練習と同じくらい好きだ.ただし,楽器といっても,ピアノと弦楽器ではちょっと練習の醍醐味が違う.ピアノは右手と左手で同じような動作をしているが指の動きが異なるのに対して,ヴァイオリンやコントラバスは,右手と左手で異なる動作をしているが,動きは連動している.なので,ピアノの場合,基本的に伴奏を担当する左手を練習し,次にメロディを担当する右手を練習してから,両手を合わせるというのが,私のような初心者の練習方法となる.この,左手と右手が統合されていくプロセスが快感なのだ.まさにゲシュタルトが形成される瞬間だ.ゲシュタルトとは,部分と部分が統合されて,部分の総和以上のまとまりのこと.この,部分の総和以上のプラスαを生み出しているという感覚がピアノの醍醐味だ.対する弦楽器の練習の喜びはいい音が出ること.弦楽器の場合,左手だけでは音が出ず,右手だけでは開放弦の音しかでないので,最初から左手と右手を協調させることが練習となる.もちろん初心者,あるいは練習を始める準備としては右手で開放弦だけ弾くが,「音楽」を奏でるには両手が必要になる.そしてその練習の目的はいい音を出せるということにつきるだろう.もちろんピアノでもいい音を出すことが追求されるが,基本的には強弱しかない.だからこそピアノでいい音を出すことはとても難しいと思う.それに対して弦楽器のいい音は,左手の指で弦を押さえる強さや音程,音程を細かく上下させるビブラートに加え,右手のボーイングでの弓を弦に当てる強さや擦るスピードなどの組み合わせとなり,非常に複雑だ.この多様な組み合わせの可能性の中から,いい音を探り当てた時は自己陶酔の世界に浸ることができる.ただ,ピアノにしろ,弦楽器にしろ,全体(ゲシュタルト)があっての部分,つまり全体としての音楽があっての,個々の音である.ゲシュタルトとしての音楽を捉えるのは思考,すなわち言語だ.先日,佐渡裕が,憧れのベルリンフィルを振るというドキュメンタリーをテレビでやっていたが,指揮者の仕事の大半は言語能力に依存していると思った.もちろん音楽的な素養は不可欠だが,自分が求める音を団員に伝えるには言語能力が必要だ.言葉を豊かにすることが,音楽を豊かにすることにつながるのだろう.

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