プラハの春.チェコ共和国の首都であり,かつて神聖ローマ帝国の首都だったプラハ.そのシンボルであるプラハ城が,滔々と流れるヴルタヴァ(独名モルダウ)河を見下ろしています.イギリスの神学者の思想を受けて宗教改革に身を投じたヤン・フスが学長を務めた中央ヨーロッパ最古のカレル大学,ティコ・ブラーエが地動説につながる天体観測を行った天文塔,アルフォンス・ミュシャがデザインしたステンドグラスのある聖ヴィート大聖堂など,プラハは学問と芸術の中心地でした.赤茶けたスレート瓦と多数の尖塔が目を引く古都プラハ,そこに訪れる春の雅さと華やかさはいかほどでしょう.
プラハの春,しかしそれは1968年に起こったロシアの侵略です.自由を求めるプラハ市民をロシア軍が制圧したのです.ドイツ,オーストリア,ハンガリーなどの帝国・強国に囲まれたチェコは,古来より代わる代わる彼らに支配されてきました.ドヴォルザーク(1841-1904)は,オーストリア=ハンガリー二重帝国の時代に,プラハ近郊の村で生まれました.民族独立の動きが再び始まりつつあったこの当時,チェコは同じスラブ民族であるロシアとの距離を縮めつつありました.
ドヴォルザークはオーストリア政府から奨学金をもらいつつ作曲に励み,ウィーンで活躍していたブラームス(1833-1897)に才能を見出され,イギリスで認められて国際的作曲家となりました.交響曲第7番ニ短調op.70はロンドン・フィルハーモニック協会の依頼により1885年に作曲されました.この曲は直前に作曲された劇的序曲『フス教徒』の主題を用いています.フス教徒とはヤン・フスの思想を受け継ぐ人たちです.ヤン・フスはカトリック教会に対するプロテスタント(抗議者)として火あぶりにされ,その後継者たちも弾圧されました.序曲に続き,ヤン・フスたちの信念を貫くドラマの本編がこの第7番であり,ヤン・フスの目を開かせたイギリスへの敬意が込められているのでしょう.
1892年秋,ドヴォルザークは家族とともにアメリカに渡ります.イギリスから独立して100年,世界から一目置かれるまでに成長したアメリカで,アメリカ独自の音楽の興隆を託されました.チェコを愛するドヴォルザークがなぜこの仕事を引き受けたのか?チェコと同じく独立に苦渋し,必死で独立を勝ち取った国アメリカを見たかったのだと思います.そして渡米後まもなく作曲した交響曲第9番ホ短調op.95「新世界より」で,アメリカの雄大な自然に満ちあふれる力強い生命の息吹やそこでの素朴で静けさと安らぎに満ちた人々の生活,あるいは都市の喧噪や巨大なビル群,大地を揺るがす大陸横断鉄道の力強いリズムなど,新世界アメリカの今を,祖国への希望のメッセージとして故郷に伝えたかったのではないでしょうか.
さて,ドヴォルザークが夢見た二重帝国からの祖国の開放は,第一次世界大戦終結後の1918年.しかしそれも束の間,ナチスに侵略されてしまいます.第二次世界大戦でナチスを追い払ってくれたのは同じスラブ民族として距離を近づけつつあったロシア.そのロシアは共産主義を強制します.そしてプラハの春.チェコが真の独立を勝ち得たのは1993年,1989年のベルリンの壁の崩壊に伴うチェコとスロバキアの分離・独立によってでした.苦渋する祖国チェコへの希望を託した二曲の交響曲は,私たち西オケにも練習という苦渋を一年間に渡って与えてきましたが,その成果が今夜開放されます.でもチェコのように(演奏が)分離・(聴衆から)独立はいたしません!
というような感じです.ちょっと長いですねぇ.これから推敲していきたいと思います.
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