2010年12月31日金曜日

Vancouver 5th day

今日は朝から快晴.この時期のバンクーバーは本当に雨がちなんだろうか?でも雨がちになると困るので今日は晴れの日に行きたいThe Look Out(展望台)とStanley Park(昨日も行った)をまわることに.Stanley Parkで昨日と同じように小鳥やリスに餌をあげようと,子どもたちは朝食でシリアルを少しずつ持ち帰ってきた.The Look Out(Out Lookではない)はウォーターフロントにある高層ビルで,最上階がレストラン,その下が展望台になっている.入場チケットを購入すると(大人15ドル,小人7ドル),一日何度でも入場できる.今日は朝昼夕と,バンクーバーの一日を上から眺めてみようというわけ.15ドルも払うのでそれくらい利用しないとね.
快晴だけどもよーく冷え込んだ朝のバンクーバー.来る前に調べたら,最高気温はだいたい5度,最低は0度ということで,完全になめてきた.つまり,薄手の手袋しか持ってこず,帽子,耳当て,マフラーは持ってこなかったのだ.しかしこんなにバンクーバーが寒いとは!晴れるのはよいが連日の零下.雪が無い分,よけいに寒い.そんなバンクーバーをお寒い装備で歩き回るのは結構辛い.手袋を買おうものなら,なんで持ってこなかったの!家にあるでしょ!と妻に言われるのは必至.なんとかしのぐしかない.
そんなことを考えているうちにThe Look Outへ到着.地下1Fのエレベーター前の受付でチケットを購入.四枚とも異なる絵柄のものを選んでくれた.そしてエレベーターで展望台へ.軽快なスピードで上昇.ガラス張りのエレベーターからはヴァンクバー市内がみるみる広がっていく.あっという間に展望台へ.足のすくむ高さだ.そして今まで見上げてきた摩天楼たちが今は目の前に広がっている.展望台は360度の景色を歩いて見回せる.札幌のセンチュリーロイヤルホテルのように回ってはくれない.それにしてもここからの景色は圧巻の一言.スターウォーズに出て来る銀河共和国の首都コルサントのようだ.違いは北側に湾を挟んで連なる雪山が眺められること.このような雪山は東の彼方にも小さく見える.あれがもしかしてカナディアンロッキー?摩天楼たちと雪の山脈のコントラストに,人間の偉大さと自然の雄大さを感じる.
さて,次は皆さんお待ちかねの餌やりタイム.といってもここからStanley Parkまでは結構な距離.港沿いに歩き,カナダプレイスを通り過ぎると,カナダプレイスと同じくらい巨大な建物が.バンクーバーコンベンションセンターだ.たしか今年行われたバンクーバー冬期オリンピックの名残だったような.やっぱり!その隣にはテレビでもおなじみの聖火台がある.テレビで見るより小さく見えるのは隣の建物がでかすぎるせいか.写真撮影をすませて先を急ぐと水上飛行機のたまり場が.ここが飛行艇による空中遊覧の出発地点だった.近づいてみると,銀色のコンテナから自転車を引っ張りだしている東洋系のお兄さんと,コンテナ前に並ぶ自転車たちを発見.こんなところにレンタサイクルの店が.ガイドブック等で調べたところではダウンタウンに何軒かあるようで,先日Slanley Parkに行く時に寄って行ったが,かなり高かった.だいたい大人も子供も1時間10ドル程度だった.ところがここは大人6ドル,小人3ドルと破格の値段.迷わず2時間レンタルし,Stanley Parkを一周しがてら餌やりをすることに決定.
久しぶりに乗る自転車に家族一同大喜び.そして何よりよく手入れされた高級そうなマウンテンバイクは,普段乗っているママチャリとは乗り心地・走り心地が違う.喜び勇んで出発するが,すぐに困難にぶちあたる.そう,手がめちゃくちゃ寒い!寒いというより痺れ,すぐに感覚がなくなる.これから2時間もこの寒さに耐えねばならぬかと思うと,先ほどのうきうき気分も,魚を出されたプーチンの耳のごとく萎えてしまう.しかしそうも言っていられぬので,ジャンバーの袖に手を入れて,とりあえず寒さをしのぐ.ヨットハーバーを抜け,雪山を背後に抱えるノースヴァンクーバーを見渡せるStanley Parkの海岸線を自転車で走るのは爽快,と言いたいが,寒さでそれどころではない.どうもそれは私だけではなく,他の家族もそうだったようだ.巨大な岩がせり出した細い自転車道は,岩からしたたる水でところどころ凍結していて,かなり怖い.寒さと凍結した路面とで,ゆっくり景色を楽しむ余裕はなかった.ましてや餌やりなど悠長なことをしている心の余裕はなかった.景色と餌やりはまた後日ということで,寒いけれども,自転車でStanley Parkを一周するという地元民的気分を満喫できた.そして自転車を凍えながら返却すると,借りた時とは違う白人の兄ちゃんが,コンテナの裏あたりを指し,そこでコーヒーとマフィンをサービスしてるから寄ってけと言う.言ってみると,水上飛行機観光客のための待ち合いラウンジだった.恐る恐るカウンターのお姉さんにコーヒーいいかと訊くと,笑顔で"Sure"と返ってきた.子どもたちにはチョコレートとアップルジンジャーをついでくれた.かじかんだ両手でコーヒーカップを抱え込んだ時の幸せな気持ち.あー生きててよかったと思う瞬間であった(明らかに大げさだ).そうこうしているうちにもく午後の1時半.お腹が空いたという子どもたちは,私の嫌いなMacに行きたいという.日本とはメニューが違うから行きたいのだと.するとすぐにカナダプレイスの南側のビルの地下に発見.幸いなことにフードコートになっている.子どもたちはMacを,我ら夫婦はピザ二枚と32オンスのroot beerをシェア.妻によると,root beerはアメリカ発祥の炭酸飲料らしく,こちらの人たちが好む飲み物らしい.うん,北海道民にとってのガラナみたいなもんだな.このroot beer,湿布を溶かして飲んでいるような風味がする.まあ飲めなくはない.が,しかし,この32オンスという量は異常だ.娘のSサイズのカップですら,日本のLサイズに匹敵するのに,その三倍はあろうかという巨大さ.日本の映画館でポップコーンが入っているのがこのくらいではなかろうか.とはいっても,水物ならいくらでも入るのであっという間に完飲.ピザ一切れも巨大だった.こんなセットをこっちの人たちは一人で食べるのかしら?と妻が言うので,なんぼなんでもシェア用だろうと答えていると,すぐ近くで同じセットを一人でたいらげるビール樽のようなおっちゃんを発見.そりゃあそういう体型になるわな.
腹ごしらえの後は再びThe Look Outへ.昼下がりのバンクバーは,日がすでに傾き始め,朝の澄み切った空気から,柔らかく街を包み込む気配に包まれていた.またもや写真をバシャバシャと撮り,見事な景色に感嘆の声をもらし,展望台を後にした.展望台はGas Townにほど近く,先日Gas Townのお土産物屋でみかけたオリンピックデザインのマリンブルーのパーカーが気になっていたので,再度見に行った.しかしXLとかXXLとかいうサイズしかなく,購入を諦めた.店を出ると,まだ3時半だというのに,空の裾がうっすら赤く染まっている.妻がEnglish Bayに沈む夕日をビーチから見たいから,ぶらぶら歩いて行こうと言う.私と息子は,夕日を見たいならそんな悠長なことを言っている場合ではないと,家族全員早足でビーチに向かう.しかしやはり間に合わない.4時にはビーチに行っていないと行けないことが分かり,明日再チャレンジすることにする.もうホテル近くまで戻ってきてしまったが,すでに暗くなりかかっているので,歩き疲れた子どもたちにむち打ち(ひど!),夜景を見るためにThe Look Outを再び目指す.The Look Out近くで朝見つけた100円ショップに寄り,金たわしとポテチを購入.どうも我が家は海外に来るとポテチを買いたがる癖がある.いざ展望台へ.柔らかな暖かみのあるオレンジ色が灯る摩天楼たちを,青さの残る薄暗がりの空が覆う.西側の空の下にはまだ夕日が尾をひいている.そんな昼間の名残を惜しんでシャッターを押していると,ほどなく暗闇に包み込まれる.暗闇を払いのけるかのようなオレンジ色の光.人間は今でも暗闇が怖いのだということを感じさせる.我々の目は,暗さに敏感に反応するようにできている.暗闇との戦いの最後の砦がこの摩天楼たちなのかもしれない.我々は今日一日,寒さとの戦いだったけど.

2010年12月30日木曜日

Vancouver 4th day

昨日で時差ぼけを解消したつもりが,今朝もまた...夜中の2時に起き,4時に起き,そして5時半に我慢しきれず昨日のブログを書いた.今日こそは!と現在夜の10時過ぎまでがんばっているところ.辛い!眠い!これほどの時差ぼけが待っていようとは.やっぱヨーロッパに行く方が楽だ.それはさておき,今日の記録,より記憶,に残らないのでやっぱり記録.
今朝は先述したとおり5時半に起きてブログを更新した後,一人キッチンでみそ汁を作る.海外生活も三日も過ぎると味噌汁とご飯が恋しい.緯度の高いヴァンクーバーは7時を過ぎても外は真っ暗.そして部屋の灯りはキッチンのみ.そんな薄暗い中,一人すする味噌汁.うぅん,しみじみ温まるしじみ汁.そうこうすると8時.さすがに朝食タイムが終わってしまうので,熟睡中の家族を起こす.毎日代わり映えのしない朝食をすませて部屋に戻ると,同じく時差ぼけが治らない息子がベッドにダウン.息子を部屋に残して3人でイェールタウンを散策.目指すはヴァンクーバーの公共図書館.ここがすごい!ローマのコロッセウムのパクリだ.エントリーは吹き抜けで,7階分の高い天井.地下は子供向けの図書室.といっても本だけでなく,DVDやオーディオ図書,ボードゲームもある.そしてなんとプレステやDSなどのゲームソフトまで貸し出しされている!
図書館からの帰りはイェールタウンの商店街をぶらぶらしながらホテルの部屋に戻る.フィンランドブランドの「マリメッコ」の店もあった.お昼は部屋で作ってすまそうという魂胆だ.私と息子はパン食が苦手.根っからの米党なので,米を7合持参してきた.初日に調子の悪い息子のために妻が電子レンジで炊ける器材を使って一合炊いたが失敗.それ以来炊いていなかったので,持ち帰るのもアホらしいので,そろそろ米を食べた方がよいだろうということになった.しかし電子レンジのやつは一合炊き.四人分は無理.そこで鍋で炊飯に初挑戦.インターネットで炊き方を検索し,その通りに実施.レンジでチンよりはるかに上手に炊けた.しかし,日本のガスレンジより火力が強かったらしく,鍋をしこたま焦がした.こりゃあ金たわしを買ってこにゃ.
久しぶりの日本食を満喫した後は,ここバンクーバーを代表する観光スポットであるスタンレーパークへ.この公園はバンクーバー島の西にぽこっと突き出した半島部分.この半島の北から,向かいのノースヴァンクーバー(スキーのメッカ)を結ぶ,これまた大きな橋"Lions Gate Bridge"がのびている.スタンレーパークは車道,自転車道,歩道,そしてローラースケート&ローラーブレード用の道が整備されており,歩道と自転車道は半島をぐるっと周るコースと,半島内部を縦横にめぐるコースとが用意されている.一周は8.8kmとある.まあ二時間ほどか.二年前に来た時は一人もくもくと一周したが,今回は妻と娘がリスの餌として用意したリンゴがあるので,内部コースへ.周回コースから内部コースへと,つまりうっそうたる森の中に入った途端に,ひんやりした空気に包まれる.3時半だというのに,もう暗くなってきた.リスを求めて散策するが,どんどん寒く,暗くなるばかりでリスは一向に現れない.とにかく,広大な公園の東の方で行われているクリスマスライトアップを見に行こうと,Beaver Lakeへ向かう小さな橋にさしかかった時,大小の黒や茶のリスが道を右往左往していた.私以外の三人は切り刻んだリンゴをリスにやろうとするが,警戒心が強く,そしてまた近くに落ちてもまったく気づかないので,なかなか餌付けができない.しかし,リンゴの破片を手のひらに載せてしゃがんでいると,小さな鳥たちがその手に代わる代わる停まってリンゴをついばむ.それがまた楽しいようで,かなり冷え込んできた中,飽きずにやっている.私はといえば,薄手の手袋しか持ってこなかったので,手はもうしびれて感覚はゼロ.はよ行こうさと思いつつ,寒さに堪えてつつ,餌付けの様子を写真におさめる.
ようやく彼らも凍えてきて(きっと飽きた),ライトアップ会場を目指す.しばらくすると森の奥でひっそりきらめく色とりどりの電飾が見える.入り口付近の駐車場は車と人とでごったがえしている.ネットで調べたところでは,入場料が,大人9ドル,小人6ドルとなっていたが,これはどうも有料施設(ミニトレインの乗車など)の料金のようで,電飾を見るのは無料.人々の流れに乗って,様々なメルヘンチックな電飾作品を鑑賞する.ディズニー,サンタクロース,グリム童話などをテーマにした作品が並ぶ中,巨大な動物を発見!娘がカバだと叫ぶが,どう見ても巨大なシロクマ.娘はよくトンチンカンなことを言う.近くには氷でできたドームがあり,その前でペンギンたちが集っている.なぜに南極?ま,それもありか.
厳しい冷え込みを束の間忘れさせてくれたお伽噺の世界を抜け出し,暗闇にそびえ立つ摩天楼のまばゆい灯りを目指す.こんなに寒い日はラーメンだな,ということで,湯気の上がるラーメンを想像しながら,ビルの谷間の人ごみを縫いながらホテルを目指す.手がすぐに荒れる私はいつの間にか調理担当.そして残る三人は食器洗いと役割が自然に決まっている.お腹をすかせた三人のために,体が暖まるのを待たずに,冷えたビールを飲みつつ,ラーメンを作る.わかめ入りの塩ラーメンと,途中のスーパーで買ってきたキッシュのようなもの.これがなかなか美味しかった.同じスーパーで購入した大きなポテチと,昨夜食べきれなかった大量のピスタチオ(ロンドラ=London Drugで購入.安い!これはお土産にもgood)をつまみにビールが今日もすすむ.代わる代わる狭い浴槽につかると,はや10時.なかなかいいペース.あと1時間くらい寝ずにがんばれば,明日こそ時差ぼけ解消!と思ってこのブルグを書いていたが,ものすごい睡魔に襲われ撃沈...そして続きのこれを書き出したのは朝5時半...トホホ,今日もまた時差ぼけからの脱出ならず.

2010年12月29日水曜日

Vancouver 3rd day

あー,酔った.といっても酒にではない.そして乗り物でもない.かつて大学一年生向けの船上実習でディベート講師をしていたが,小さな練習船の激しい揺れに学生たちがばたばた倒れる中,平気で食事ができたほどだ.そんな私がなんとバンクーバーで「橋酔い」したのだ.「乗り物酔い」のように一般化するなら,「構造物酔い」とでもなろうか.
今朝は6時半というしごくまっとうな時間に起床.家族は7時過ぎまで寝ていた.これで時差ぼけ解消かと一家で喜ぶ.そしてなんと今日は晴れ.この時期は雨ばかりと聞いていたので,今日は朝から吉兆だ.ホテルのビュッフェの朝食をすませ,いざ出発.目指すはキツラノという地区.ここは雑貨や民芸品を扱う小さな店が集まっていて,妻と娘はもちろんショッピング,男二人はこの地区のはずれ,English Bayに面するMuseum of Bancouver(通称"MOV")へ.そして昼にGranvile Islandにあるマーケットで落ち合う予定.
キツラノはホテルのあるダウンタウンから巨大な橋Burrard BridgeでEnglish Bayを超えて行く.巨大な橋は二本あり,一本(Burrard Bridge)はキツラノへ,もう一本(Granvile Bridge)はGranvile Islandへつながっている.どちらもホテルからほど近いので,行きと帰りで違う橋を渡ってエクスカーションを楽しもうというわけだ.
しかし,この橋たちはとにかく大きい.どちらも瀬戸大橋級(きっとそれほどではない)だと思うほど.これらの橋は車道,自転車道,歩道がきちんと分かれていて,観光客や地元民がそれぞれのスタイルでこれらの橋を横断していく.そんなちょっとした空中遊覧を家族で楽しむつもりだったのだが,不覚にも父である自分の足がすくむ.決して高所恐怖症ではない.かつて淀川大橋を徒歩で渡った時もまったく恐怖は感じなかった.遊園地では絶叫マシンたちに率先して乗る方だ.
ところが,これらの橋はとにかく怖かった.他の家族の者たちはキャーキャーわいわい言いながら渡っているのに,自分はできるだけ車道寄りの方を歩き,しかも家族に自分が怖がっていることを悟られぬよう,緊張しながら渡った.これらの橋はまがりなりにも湾を越えるのでかなり巨大で,高度も相当なもの.またこの橋は淀川大橋とは異なりかなり湾曲している.そして何よりもぼろい.小石混じりのコンクリートでできた欄干は腰のあたりまでしかなく,ところどころかけている.そして欄干の下部は15cmほどの隙間が空いており,足を引きずられるのではないかという錯覚に襲われる.
そんなわけで,ホテルの部屋に着いてからも,床がかすかに揺れているような感じがして,とても気持ち悪かった.Granvile Islandのマーケットに大きなカニやロブスターが売っていなければ,二度と徒歩で渡ろうとは思わない.
さて,MOVは,バンクーバーの歴史がすべて分かるという常設展と,家庭菜園のススメという特別展をやっていたが,どちらもそれほど興味をひくものではなく,MOVを再訪するためにあの橋を渡ることもないだろう.でも今日は大きなカニしか買ってこなかったので,ロブスターを買いに戻ってこなければならない.家族にそれとなく,乗り物に乗ることを勧めるか.それとも違うマーケットを探すか.あ,そういえばGranvile IslandにあるGranvile Beer工場を見学するのを忘れた!やはりまた訪れねばならぬらしい...

2010年12月28日火曜日

Vancouver 2nd day

あー,よく寝た!でもまだ暗いなぁ?いやあな予感...海外に来るといつもそうんなんだよな...でもやっぱ時計見よう.あーっ,やっぱり.まだ夜中の2時だよ.とりあえずトイレ行っとくか.ってベッドに戻って来ると,隣の娘が時間を訊いてきた.娘よ,お前もか.
それからしばらく眠るよう努め,苦労の末に寝て目覚めたのが朝4時.またしても娘が時間を訊いてきた.妻も息子も起きている気配.全員が時差ぼけ.ここからまったく寝れない.しかし隣の娘は今頃になってスヤスヤ.バンクーバーの朝4時は日本時間の翌日の夜9時.娘だけが日本時間のようだ.あー腹減った.朝食は6時半から.時計を見ると5時.あと1時間半.いやあもう無理!そしてまたトイレへ.すると妻と息子も起きだす.やっぱ寝れなかったのね.そして娘を気遣いながらも電灯を点け,各自,読書やパソコンを.6時.娘はスヤスヤ.6時半.娘はグーグー.7時,娘はスースー.7時半でもクークー.たまらず起こす!朝飯や,起きろ!
全員揃って朝食へ.このところ朝食は果物ジュースだけだったが,もったいなのであれこれ食べる.ソーセージとスクランブルエッグはなかなかいける.でも生野菜がないのが残念.代わりに味気ないメロンとスイカのぶつ切りを大量に食べる.
腹ごしらえをすると急に睡魔が.しかしここは我慢のしどころ.時差ぼけを治すには規則正しい生活だ.というわけで9時半にはホテルを出発.まずはバンクーバーの名所らしいギャスタウンを目指す.ギャスタウンにあるのは小樽にあるとまったく同じ蒸気時計.先日,小樽の蒸気時計の前で妻と娘が写真を撮ってきたので,まったく同じポーズでギャスタウンの蒸気時計とも写真を撮るというのが,妻と娘の第一の目的だ.
この蒸気時計よりも東へ行ってしまうとチャイナタウンという治安の悪い地帯へ突入.その手前で引き返してスタンレーパークという水族館のある大きな公園を目指す.途中でSafeWayという大きなスーパーマーケットに寄り,お昼(フライドチキン)を購入.Lost Lagoonのほとりのベンチでほおばっていると雨がしとしと降り出す.スタンレーパーク探索は後日にし,English Bayという砂浜を目指す.二年前の2月末に仕事で来た時,夕暮れ時に散歩した時は人であふれていたが今は人影もまばら.2月末はまったく寒くなかったし,晴れていたが.今は寒くて雨.2ヶ月違うとだいぶ様子が違う.
そして3時過ぎにホテルに帰還.もう手がしびれて感覚ゼロ.時差ぼけの三人はぐったり.娘一人は元気で宿題をしに机に向かう.車に乗るわけでもなく,せっかくのHolidayなのでソファで昨日買ったビールを飲む.妻と息子はすでにベッドで爆睡.気づくと自分もソファで居眠り.そしてビールをちびり.また居眠り.そしてちびり.そうこうするうちに4時.これ以上寝ればまた夜寝れないと思い,だるい体にむち打って,妻と息子を起こす.なかなか起きないぐうたら息子をほっておいて3人で買い出しに.
二年前に通ったスーパーを見つけるべく,かすかな記憶を辿って,もはや本降りとなった雨の中を歩き出す.かつて泊まったホテルを見つけたが,スーパーは見つからず.そうこうするうちに昨日の夕方に立ち寄ったMarket Placeというスーパーに.もしかして探していたのはここ?まさか?いやそうかも!と思いつつ,またここで夕飯の買い物.今日の夕飯はソーセージ.途中のJapanese Conbiniで買った枝豆と,昨日のサラダの残り,そして昼の残りのフライドチキンが今日の夕飯.明日こそはロブスターにオイスター!
あーそれにしても眠いぃ.でも我慢我慢.まだ9時半だし.

2010年12月27日月曜日

Vancouver 1st day


今は12月26日(日)の午後9時.といってもカナダバンクーバー時間の.日本だと27日の午後2時.日本より東の国に行くと時間が戻る.得なようだが,これが結構辛い.なんせ,北米(南米も)だと現地に到着すると,そこでの一日が始まる.飛行機で眠れぬ夜(飲んだくれの夜)を過ごすとまだ朝なのだ!とにかく一日が長い.でも今回のホテルは午前11時にチェックインさせてくれた.なので部屋でお昼をすませ,一同お昼寝.小一時間の予定が三時間に.とにかくみんなお疲れ.そんな家族を叩き起こし,夕暮れのダウンタウンへ.この時期は雨がちらしい.道も濡れているが,今日は奇跡的に曇り.Market Placeというスーパーマーケットで夕飯の買い物.物価はあまり安くはない.でもパン二斤分もあろうかというサラダ(葉っぱ)がなんと4百円ほど.そして日本で買えば一枚千円はくだらないであろうビフテキを一枚2百円ほどで購入.今回のホテルにはキッチンがついているので調理ができるのだ.しかしこのスーパーにはアルコールがない!カナダではアルコール飲料は専門店でしか買えない.そして運良く見つけたホテル近くの酒屋で買ったのがこれ.この四種類のビールが三本ずつ入って2500円ほど.右から,めっちゃ苦いビール,キャラメルみたいなビール,爽やかビール,ビールらしいビール.カナダはメープルシロップやサーモンだけでなく,ビールも有名らしい.カナディアンビアは種類も豊富.十日間,十分に飲んだくれできそうだ.さて,明日は何をするか.とにかく雨が降らないことを祈るばかり.それにしても眠い.まぁ四本も飲めば当然か.ではおやすみ.

2010年9月22日水曜日

三つ子の魂

9月から11月にかけては出張月間.毎年のことだけど,仕事の関係上,今年は例年よりも多い!先日は帯広(北海道),水戸(茨城),秋田,磐田(静岡)と立て続け.来週末からは盛岡(岩手),仙台(宮城),八戸(青森)と続く.札幌に住んでいると出張はほとんど飛行機を使うことになるので,飛行機に乗るのは慣れた.最初の内は,上空で,自分の足下に地面がないということに恐怖を感じたものだ.しかし慣れたのは飛行機だけ.枕が変わると寝れない!エアコンの音が気になって寝れない!大都市圏の満員電車は苦痛だ!
そして出張でもう一つ苦痛なのが食事.小さい頃から外食というものをほとんどしたことがなく,一人で外食するのは大の苦手.朝夕はコンビニ等で買ってきてホテルで食べれば住むが,お昼はそうもいかない.そんなわけで一人で入れるようになったのがラーメン屋と立ち食い蕎麦屋.朝は温かいものが食べたいので立ち食い蕎麦屋に入ることも増えた.立ち食い蕎麦屋で無意識に注文してしまうものがある.山菜蕎麦だ.値段から言って絶対に中国産だ.こんなもん食べてるって知ったら,リサコとミースケは激怒するやろな.と思いつつ,ついつい頼んでしまう.
思えば千葉の山奥(とは大袈裟だが)で育った私にとって,毎年楽しみにしていたのが春の山菜摘み.お弁当をもって裏山に家族で山菜を摘みに行くのは,春の穏やかな陽光と相俟って,心がうきうきする年中行事だった.山菜はそんな幼少期の楽しい思い出を今によみがえらせてくれるのだ.
しかし!山菜蕎麦はそろそろ食べられないかもしれない.一昨年前の冬,まだ三本も残っていた親知らずのうちの二本(右の上下)を抜いた.この歳まで育ってきただけあって,そりゃあ巨大なものだった.しかも下のやつは珍しい三つ又.歯医者も手こずり,抜歯手術は1時間近くに及んだ.あの甲高いドリルの音,そしてペンチで歯を抜かれる時の骨のきしみ.思いだすだけで身の毛がよだつ.それはさておき,とにかく抜けた跡の穴も大きかった.そしてしばらくすると困ったことが起きた.穴に食べ物が詰まるのだ.しかし時間とともに穴はふさがり,物が詰まることもなくなった.すると今度は歯の間に繊維質のものが挟まるようになった.上下一本分の大きな歯がなくなったため,歯並び全体にゆとりができ,歯間が広がってしまったようだ.こんな状態では大好きなスルメを食べるのも躊躇する.まして白昼堂々と山菜蕎麦など食べようものなら大変なのだ.山菜蕎麦も思い出になる日は近い.

2010年9月8日水曜日

ボヤ騒動

今日はすがすがしい朝で始まりました.昨日までの30度を超す真夏日がウソのよう.寝苦しくもなく,爽快な目覚めでした.高い青空が広がり,風が吹き抜け,湿度も低く,今日は洗濯物がよく乾くでしょう!
そんな爽やかな朝,一昨日の焼き肉の残りをリサコがお弁当に持って行くというので,オーストラリア産タレ付牛下がりをフライパンで焼き,その焦げをボロ布で拭き取ってました.なんだか右腹あたりがホカホカと温かいけど,触ってもどうともない.するとミースケが「行ってきまーす!」というので,フライパンをもったまま玄関へ.するとまた右腹に温もりが.そういえばガスコンロの前で焦げを取る時,ヤカンが火にかかっていたから,そのせいだろうと思い,何気なく着ていたTシャツの裾をたくしあげると,そこには火が!
しかし滅多なことでは動じることのない私が落ち着いて火を払っていると,火を見て取り乱したリサコが洗面器に水を汲んできてオレ様にぶっかけようとする!たいしたことないと諭すにも関わらずリサコはもう消火された焦げ跡目がけて手で水をかけた.よくよく見ればTシャツの下の短パンとその下のパンツまで焦げている.しかし不思議と火傷はしていない.だって,ホカホカと温かかっただけだもの.
フライパンの焦げを取る前,ガスコンロの上にある換気扇の金網に黒い油滴を見つけ,手を伸ばしてそれをボロ布で拭いた時,Tシャツの裾が持ち上がり,ちょうどヤカンの火に触れてしまったのでしょう.それにしても火の着いたTシャツを着たままカーテンなどに近づかなくてよかった.今日のような爽やかな日は火もよく燃えるでしょうから.

2010年9月1日水曜日

接待

昨日は私の母校の総長をはじめとするお偉方が本学の総長へ表敬訪問しにきました.表敬訪問とはまさに表向きで,主な目的は本学が導入する新しい入試に関する調査です.この新しい入試の開発に携わってきたことから,昨夜は久方ぶりに接待してきました.場所はススキノのサッポロビール倶楽部.サッポロクラッシック飲み放題にジンギスカン食べ放題が3400円!なんとまあ庶民的な接待だこと.まあ総長たちは別会場ですが.なにはともあれ大学を卒業して以来15年振りに京都弁を聞きながらおしゃべりしました.それにしても自由と放任の我が母校が,厳格な成績うんぬんなどと言い出すとは.我が母校ぐらいは昔ながらの大学であって欲しいと願っています.

2010年8月19日木曜日

22年振り

千葉に住んでいる従姉が家族で札幌に遊びに来ました.千葉よりも涼しいと喜んでたけど,札幌も十分に暑い!インド人のように夏は自宅の一階を人に貸して,自分は二階でごろごろしていたいものだ.まあマンションなので無理だけど.
さてその従姉は私の母の姉の美人三姉妹の長女にして,元JALスッチー.小さい頃はよく遊んだが,いつ以来だろかと昨夜二人で記憶を辿ると,祖母のお葬式以来ということが判明.私が高2だったから,なんと22年振りの再会.札幌駅で待ち合わせをしていたけど,むこうから声をかけてもらわなければ分からなかったかも.よーく見れば面影は残っているけど,さすがに22年の歳月は容姿も記憶も変えてしまう.
それにしてもなぜ今頃,従姉は連絡をしてきたのか?家族で北海道に来るのは二度目とのこと.なぜ今?と思っていたら,二人の子どもは卵とピーナッツ(千葉県の名産品!)と蕎麦のアレルギーとのこと.今ではそれほどひどくはないが,小さい頃は世話が大変で爺ちゃんと婆ちゃんの付き添いがないと旅行は大変だったそうだ.そう,家族4人で旅行するのは今回がはじめてだったのだ.
アレルギーのことは聞いていたので妻は料理に苦労したようだ.その苦労の甲斐あって,従姉の子どもたちは美味しい美味しいと料理を食べていた.とにかく救急車を呼ぶような騒ぎにならなくて一安心.うちの長女とはすっかり打ち解けて楽しそうに遊んでました.長男は中学に入ってちょっと微妙なお年頃.だいぶ距離を置いてました.
ところで,うちの子らと従姉の子らの関係をなんというのだろう?ハトコ?いやいや,なんだろう??まあ懐かしいというか,不思議な気分の再会でした!

2010年6月21日月曜日

梅雨のような..

このところ札幌でも本州並みの梅雨のような天気が続きます.とにかく蒸し暑い!気持ち悪い!ビール飲みたい!ということで今日のお昼はタイカレーを食べに行ってきました.札幌市営地下鉄南北線の北12条駅の近くにある「スリヨタイ」というお店.ランチタイムはレッドカレーとグリーンカレーが500円.ご飯のボリュームもあり満腹になります.レッドの方はやや赤みがかった白いスープで,チキン,タケノコ,大根(他分からん)が具です.ゆで卵半分が乗ってます.グリーンの方は緑がかった白いスープで,豚肉,タケノコ,大根,カボチャが入ってます.こちらにもゆで卵半分がつきます.結構辛いですが味はまろやか.タケノコと大根をカレーに入れるという,まさに日本とインドのマリエッジやー.で,そのシャキシャキ感が堪りません.写真を掲載できるとよいのですが,携帯をもってませんし,デジカメを持ち歩く習慣もないので,写真撮ってません.店主はちょっと無愛想な感じのする半白髪のおじさんです.こぢんまりした店内の壁は暗褐色で,おそらくはタイの民芸品と思われる木彫りの彫刻などが飾られています.さほどエスニック色は強くありません.
そうそう,ここのカレーのルーにはパクチーが散らしてあります.もうかれこれ15年ほど前にアメリカのコロラド州のボルダーという街に学会で行きました.小さな街ですが,タイ料理の美味しい店があるということで連れて行ってもらいました.パクチーを初めて食べたその衝撃は忘れられません.これは便所虫の味だー!って食べたことはないですが,口から鼻に抜けるニオイはまさに便所虫が敵に襲われた時に発するそれと同じ.何を頼んでもこのパクチーが入っているため,ひたすらビールを飲んでました.それ以来,パクチーなんぞ口にすることはありませんでした.しかし今,こうしてかつてのような拒絶感もなく,意外に平気だね,とパクチーを口にしています.今にして思うと,かつての自分は非常にトゲトゲしていたように思います.石垣作りが趣味のミムラ(ムーミン物語に出てくる種族.ミムラ夫人やミムラ姉さん,ちびのミイがそれ.ちなみにスナフキンには半分ミムラ族の血が流れてます)たちと同じように,自分の周りに心の石垣を作っていたのでしょう.今はそんなものを作る必要を感じなくなり,生きるのがとても楽になったように思います.

2010年6月16日水曜日

定演を終えて

ちゃんとまとまった文章ができないとブログを更新する気にならないので,なんだかんだで2ヶ月も空いてしまった.その間,うちのオケの定期演奏会も終わって来年の定演の曲も決まった.そして新たに参加しているバドミントンサークルで出た大会も終わった.というわけでこの2ヶ月の記録を.
まずは演奏会.今年のメインはドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」.この新世界は大阪ではなくアメリカのこと.3拍子と2拍子が混在するドヴォルザークならではの曲.コントラバスも弾きごたえがあり,終わった後は「やったー!」という感じ.もう一曲もドヴォルザークの交響曲で第7番.この曲は大学院生の時に奈◯女子大のオケの賛助として弾いた.もう15,6年も前だ.難易度は新世界よりも上.やたら高い音への跳躍や高い音からの下降がある.よくこんな難しい曲を当時弾いてたなあと思ったけど,慣れればなんとかなるもの.継続は力なり!練習がすべてです.アンコールはドヴォルザークのスラブ舞曲集第一番.明るくノリのいい曲です.指揮はうちの団員.アマチュアなのでしょうがないのですが,もっとコントラバスに色々要求をしてくれるとよいのですが.来年のメインはシューマンの交響曲第3番「ライン」.奥さんのクララたちからは止めとけ言われたのに頑として譲らなかった5楽章構成.4楽章が全体の中で浮いているが,ベートーヴェンの第6番「田園」を意識した曲だと思われる.全体と各楽章をどのように解釈し,統合するかはなかなか難しい曲かも.ベースはあまり休みがないので結構大変.でも私も一票を投じた好きな曲なので合奏は楽しい.これから一年間,シューマンについていろいろ調べてみよう.
バドミントンの方は職場の部が物足りなくて,以前から誘われていたNoth Nineというところに4月から行っている.名前の由来は北九条小学校(うちの子らの母校)の同窓生が始めたからだそうだ.社会人の2部から3部レベル人たちがメインで,初心者も混じって和気あいあいとやっている.一回ごとに200円払えばよいというシステムも気軽でいい.基礎打ちをした後,くじ引きでダブルスの組を決めて試合.19時15分から21時30分までだが,8時半頃になると疲れてくる人が多くなり,あとは自由に試合となる.ここで上手い人たちに混ぜてもらって試合をするのだけど,これがとても刺激になる.シャトルのスピードも球回しのスピードも断然早く,このスリル感を一度味わってしまうと職場の練習はとても物足りない.なのでまた夜の練習に繰り出すことになる.半ばバドミントン中毒.ま,練習に来てる人たちはみんな中毒だけど.試合の合間におしゃべりする人も増え,名前も徐々に知りつつ,知られつつある.星の王子様に出てくるキツネが言っているように,徐々に徐々に人の輪に入って行くことを実感.でも中には初対面なのにやたらと気さくな人もいれば,まったく心を開こうとしない人もいる.人間って面白いなあ.性格はバドミントンのプレイにも出るので,バドミントンしながら人間観察をするのも楽しい.あ,自分も観察しとかないとね.「敵を知り己を知れば百戦して危うからず」.やっぱりやるからには勝ちたいからね.

2010年4月20日火曜日

はやくもイジメ!?

長男がこの四月から中学生.双方の実家から柔道着やら学ランのお下がりを送ってもらいました.入学式に夫婦で行きましたが,3年生ともなると男子のほとんどは私よりも背がデカイ!私の身長はこの世代では標準ですが,今の子たちの標準は大きいなあと思いました.1年生でもかなり大きい子がいます.そしてうちの子の小さいこと.でもきっと大きくなるのでしょう.
さあ入学して2週間が経ち,片道2kmほどを通うのにも少し慣れてきたようです.そして昨日は部活に入るといって家を出て行きました.夕方,妻からメールがあり,息子の様子がおかしいとのこと.夕方6時過ぎにやっと帰ってきたら,妻と顔も合わせず,半泣き状態.どうしたのと尋ねても,「なんでもない」の一点張り.
私も急いで帰宅しました.確かに元気がなく,涙声.夕飯を食べながらできるだけ明るい雰囲気を作り,それとなく部活の様子を訊いてみた.すると,バドミントン部は練習の休みが火曜日だけで,平日の他の日は7時まで,土日は昼前から夕方まで練習とのこと.家が大好きな息子にとっては,それが泣きたくなるほど嫌だったようです.
なんとも情けないことですが,ここで怒鳴ってもモチベーションは下がる一方でしょうから,練習がハードなのは今だけ,1年生の人数が多くてまともに練習できないから,ふるいにかけるたけに今だけハードなんじゃないの,きっと,と家族でなだめました.しばらく続けてみて,どうしても自分の時間が欲しいなら,部活変えたってええやんということで,息子の気も晴れたようです.
そんなに毎日たくさんバドミントンができるなんて羨ましい...息子の代わりにオレが参加しようかな.職場からめっちゃ近いし.

2010年3月12日金曜日

東京!

先日学会で東京に行ってきました.会場は東大の本郷キャンパス.実は初めて.安田講堂や赤門ってどんなんやろ?と期待に胸を膨らませることはなく,人混みはいややなあと思いながら行ってきました.でもさすが東大.門や建物は古いながらもうちの物たちよりもお金がかかってそう.キャンパス内には日本庭園もありました.お昼は安田講堂の下の中央生協で「赤門ラーメン」なるものを食べました.茹でた麺の上に茹でたもやしを乗せ,そこにマーボ豆腐をぶっかけたもの.これが恐ろしくマズい!食堂の質はうちの方が上だと思いました.
さてもう何回も東京に来てますが,今回気になったことが二つあります.まず一つ目は,電車に乗っていると,昼夜を問わず,第三のビールを片手に乗車していくるおっさんがいたことです.中にはスナック菓子をつまみにしているおっちゃんもいました.アル中が増えているのではないかと思います.二つ目はケモノ化した人間がいたことです.JR新大久保駅の近くにコントラバス弾きのメッカと呼ばれる弦楽器の山本というコントラバス専門店があります.今弾いている楽器の音に満足いかなくなってきたので,買い替えたいなあと思っているので,一度行ってみたいと思っていました.学会が終わった後,新大久保の駅から若いお姉さんの後ろを歩いていると,車道側の歩道脇に経っていたまだ若いおじさんが突然前の姉ちゃんに向かって吠え出したのです.その形相はとても人間のものとは思えませんでした.目はまさにケダモノのそれ.アル中といい,ケモノ人といい,なんか社会がおかしな方向に向かっているのでは,と思ってしまいました.
こうした人たちに今回私が出くわしたことはどんな意味があるのでしょう?もちろん単なる偶然と済ますこともできますが,これだけ強烈な印象をもった出会いには何か私の人生に関わる大事な意味があるように思います.この出会いをしっかりと記憶にとどめ,これからじっくりその意味を考えていこうと思います.

2010年2月25日木曜日

がんばれ!チェコ

以前今年うちのオケで演奏する曲の解説を任されたという話をしました.チェコの作曲家ドヴォルザークの交響曲2曲です.そのためにチェコやその首都プラハのことなどを調べていますが,チェコってフィンランド以上に過酷な抑圧された過去をもっているんですね.ドヴォルザークが愛した故郷はこんな国なんだって知りました.ビールの消費量が世界一,ってことくらいしかチェコの国としては知りませんでした.プラハについては,ウィーンでは冷たくあしらわれたモーツァルトの後期のオペラを熱狂ととともに迎え,交響曲38番が初演された街として,モーツァルティアンの私は好意を感じていました.まあそんなチェコの歴史に共感して曲解説を書いてみましたので,ファイルを消してしまった場合のバックアップとしてここに転載します.読まれた方(とても少ないですが),ぜひご意見を!

プラハの春.チェコ共和国の首都であり,かつて神聖ローマ帝国の首都だったプラハ.そのシンボルであるプラハ城が,滔々と流れるヴルタヴァ(独名モルダウ)河を見下ろしています.イギリスの神学者の思想を受けて宗教改革に身を投じたヤン・フスが学長を務めた中央ヨーロッパ最古のカレル大学,ティコ・ブラーエが地動説につながる天体観測を行った天文塔,アルフォンス・ミュシャがデザインしたステンドグラスのある聖ヴィート大聖堂など,プラハは学問と芸術の中心地でした.赤茶けたスレート瓦と多数の尖塔が目を引く古都プラハ,そこに訪れる春の雅さと華やかさはいかほどでしょう.

プラハの春,しかしそれは1968年に起こったロシアの侵略です.自由を求めるプラハ市民をロシア軍が制圧したのです.ドイツ,オーストリア,ハンガリーなどの帝国・強国に囲まれたチェコは,古来より代わる代わる彼らに支配されてきました.ドヴォルザーク(1841-1904)は,オーストリア=ハンガリー二重帝国の時代に,プラハ近郊の村で生まれました.民族独立の動きが再び始まりつつあったこの当時,チェコは同じスラブ民族であるロシアとの距離を縮めつつありました.

ドヴォルザークはオーストリア政府から奨学金をもらいつつ作曲に励み,ウィーンで活躍していたブラームス(1833-1897)に才能を見出され,イギリスで認められて国際的作曲家となりました.交響曲第7番ニ短調op.70はロンドン・フィルハーモニック協会の依頼により1885年に作曲されました.この曲は直前に作曲された劇的序曲『フス教徒』の主題を用いています.フス教徒とはヤン・フスの思想を受け継ぐ人たちです.ヤン・フスはカトリック教会に対するプロテスタント(抗議者)として火あぶりにされ,その後継者たちも弾圧されました.序曲に続き,ヤン・フスたちの信念を貫くドラマの本編がこの第7番であり,ヤン・フスの目を開かせたイギリスへの敬意が込められているのでしょう.

1892年秋,ドヴォルザークは家族とともにアメリカに渡ります.イギリスから独立して100年,世界から一目置かれるまでに成長したアメリカで,アメリカ独自の音楽の興隆を託されました.チェコを愛するドヴォルザークがなぜこの仕事を引き受けたのか?チェコと同じく独立に苦渋し,必死で独立を勝ち取った国アメリカを見たかったのだと思います.そして渡米後まもなく作曲した交響曲第9番ホ短調op.95「新世界より」で,アメリカの雄大な自然に満ちあふれる力強い生命の息吹やそこでの素朴で静けさと安らぎに満ちた人々の生活,あるいは都市の喧噪や巨大なビル群,大地を揺るがす大陸横断鉄道の力強いリズムなど,新世界アメリカの今を,祖国への希望のメッセージとして故郷に伝えたかったのではないでしょうか.

さて,ドヴォルザークが夢見た二重帝国からの祖国の開放は,第一次世界大戦終結後の1918年.しかしそれも束の間,ナチスに侵略されてしまいます.第二次世界大戦でナチスを追い払ってくれたのは同じスラブ民族として距離を近づけつつあったロシア.そのロシアは共産主義を強制します.そしてプラハの春.チェコが真の独立を勝ち得たのは1993年,1989年のベルリンの壁の崩壊に伴うチェコとスロバキアの分離・独立によってでした.苦渋する祖国チェコへの希望を託した二曲の交響曲は,私たち西オケにも練習という苦渋を一年間に渡って与えてきましたが,その成果が今夜開放されます.でもチェコのように(演奏が)分離・(聴衆から)独立はいたしません!


というような感じです.ちょっと長いですねぇ.これから推敲していきたいと思います.

2010年2月15日月曜日

バレンタインに負けた!

バレンタインに負けた,と言っても,誰からもチョコをもらえなかったとか,そういうことじゃありません.昨日のバレンタインの日の開催されたバドミントン大会で負けたのです.30代以上ABランクというところで,同じ部の同僚とダブルスで出ました.お互い30代といっても崖っぷち.しかもこのクラスはかなりの強豪ぞろいとの噂.でも結構,いい線いったんですけどね.4試合中,最初の3試合はいずれのセットも接戦だったのですが,あと一点が取れなくて負けてしまいました.最後の試合はまったく箸にも棒にもかかりませんでした.レベルが違う!!いやあこんな人たちと良い試合をしてみたいものです.その前に,互角程度の相手にちゃんと勝てなきゃいけませんが.
まあ負けはしましたが,割と良い試合が出来たので気分良く,予定よりも相当早く帰宅すると,娘とかみさんがチョコレートを作ってました.娘の作品はハート形で色とりどりの砂糖粒をまぶしたものでした.かみさんは今年はマカロンとチョコレートケーキに挑戦.もう7,8年も前にフランスに出張した際,ラファイエットというデパートで見かけた色とりどりのマカロン.軽薄そうな概観の割にもの凄く高いのにびっくりしました.その後,日本でも話題になり,再度フランス出張に行った際に思い切って買ってきたのが5年ほど前.中にチョコレートがぎっしり詰まっていて,見た目以上に重く,そして美味しい!かみさんと娘はそれ以来マカロンのファンに.そしてお手軽レシピをネットで見つけたので今年は自作してみたとのこと.数日前から苦戦していたようで,本番はなかなかの出来でした.チョコレートケーキの方は,甘いのが苦手な私を考慮して,糖分控えめの大人の味でした.そして今宵もまたいささか飲み過ぎちゃいました...反省.

2010年2月12日金曜日

禍福は糾える縄の如し

フィンランドから無事に帰国しました。といってもまだ関空ですが。昨夜といっても時差が7時間あるので、ヘルシンキ発17時10分のフィンエアーに乗りました。なんとラッキーなことに、他のお客さんの都合でビジネスクラスに無料アップグレード!!フィンエアーのビジネスクラスのワインは世界一の品揃えと聞くので期待は特大。しかもフルフラットベッドなので熟睡できること間違いなし。二日前のタンペレのホテルでの湯冷めならぬサウナ冷めのせいでちょっと風邪気味なので、これはホントありがたい!!
ビジネスクラスなので優先搭乗でいち早く機内へ。席に着くなりCAがコートを預かってくれ、シャンパンをもってきてくれる。ひろーい座席で優雅にシャンパンを飲みながら映画のプログラムを確認するとなんとムーミンが!これは優雅な食事とともに見なければ。そんなこんなでだいぶ時間が経つが一向に出発しない。アナウンスによれば機材の整備と荷物の搬入が遅れているとか。出発時刻を40分も過ぎた頃、私の乗っている席(前から4列目の右窓側)から前方の機内へ荷物を搬入しているのが見える。そして45分遅れで出発。たった5分で荷物の搬入が終わったの?と驚きと疑問を感じつつ、頭は豪華な機内食へ。
飛び立ってしばらくするとメニューとワインリストが配られた。ワインリストの方が厚い!シャンパンに始まり、白ワイン2種(仏とNZ)、赤二種(仏と伊)、そしてデザートワイン(モーツァルトの生まれ故郷が産地)のそれぞれについての解説が7カ国語で掲載されている。とりあえずアペリティフとしてもう一杯シャンパンを頼み、和風の前菜(茶そばや寿司など)とともに仏産白、メインの牛ヒレステーキと仏産赤、デザートにフィンランド産チーズ盛り合わせを頼みつつオーストリア産デザートワインを。まさにフルコースを堪能し、すっかり出来上がったところで、ムーミンを見るのを忘れた!
とりあえず食後の歯磨きをすませ、いざムーミンを。チェコスロバキアで作られた、トーベ監修によるパペット劇。物語は『ムーミン谷の夏祭り』。しっかりと原作に忠実に作られている。ムーミントロールとスノークのお嬢さん、そしてフィリフヨンカがヘムル警察官に逮捕されたあたりで睡魔が襲う。。。このパペット劇はなぜか観ると眠くなる。鼻と目にマスクをつけて眠りに着く。
3度目に目が覚めたときは日本時間の8時過ぎ。あと1時間半ほどで着く予定だったが、出発が遅れたので到着予定は10時20分頃とのこと。札幌行きは10時55分発。大丈夫か?と思いつつ、昨日のムーミンの続きを観る。おれが一人焦ってもどうにもならん。遅れたら、まあ次の便に乗ればいいだけのこと。そして朝食が出され(焼鮭と卵焼き、梅干し付きおかゆ、果物)、眼下はもう日本。瀬戸内海を抜け、香川あたりから和歌山の沖合を北上しつつ関空へ到着。着陸したのは10時10分頃。なんとか乗り継ぎに間に合うか。しかし到着ゲートまでが長い。広い関空を散々走り回り到着ゲートに着いたのは10時20分。飛行機を降りると自分の名前を呼ぶお姉さんの声が。
JALのお姉さんに自分であることを告げると、予定の便に乗り継ぐためには10時40分までにチェックインする必要があるとのこと。もしくは諦めて15時45分の次の便にするかどうするか。間に合うのなら55分の便に乗ります!と言うと、じゃあ走ります!といってお姉さんが走り出す。寝不足と飲み過ぎで足下が覚束ないものの、そこは日頃鍛えている自負もあり、必死で追いかける。入国検査も特別ルートで検査してもらい、10時半には荷物のコンベアのところに到着。お姉さんが事前に私の荷物を先に出すよう指示してある。
ところが!荷物が一向に来ない。おそらくは荷物をコンベアに載せているであろう現場まで、そうあの黒いビラビラのカテーンの後ろまで、お姉さんが確認して行ってくれたが、今のところ荷物はないとのこと。コンベアの前で待つこと10分。お姉さんが間に合わないことを告げに来る。まあしょうがないよね、お姉さんのせいじゃないし。でもこんなに遅くまで出でこないなんて。一抹の不安を感じつつ、次こそがあのビロビロから自分のスーツケースが出て来ることを祈りつつ見守るが、次第に荷物は疎らに。私の横に群がっていた10数名のおっちゃんおばちゃんに、赤ら顔のおっちゃんがなにやら説明してる。このおっちゃん、添乗員やったんか。おれの前の席で熟睡しとったぞ。なになに荷物が届いてない?え?もしかしておれも?いやいや、おれはタンペレから乗り継いできたから、この人らとはちょっと違うで。
なんと思ってると、お姉さんが申し訳なさそうな顔をして近づいて来る。ガーン!そして荷物配送の手続きカウンターへ。スーツケースの中身を訊かれ、お酒は水もんやから別便で送ります、せやかてスーツケース開けさせてもらいまっさ。鍵があったらおよこしやす。という感じで、まあ数日後には届くとのこと。まあ急ぐようなもんは入ってへんし、自分で運ばんですむからラッキーかも、なんて思いつつ、今度は国内線のチェックインカウンターへお姉さんと向かう。お姉さんによれば、フィンエアーはこのところこういうことが多いとのこと。今年はじめに荷物運送会社の社員らによる大きなストライキがあり、飛行機は満員なのに、一緒に来た荷物は20個程度だったこともあるとか。そういえばフィンエアーの機内誌に、3月から最新式の荷物運送システムが導入され、1秒間に2個の荷物が自動仕分けされるとか。あー、そんなシステムが導入されれば、人員削減されるわな。で、ストなんだ。てな話を、もう急ぐ必要のなくなったお姉さんとしていると、でもうらやましいです、ストがちゃんとできるなんて。日本だとやっぱりストはしずらいですから。ほんまやったらわてもしたいどす!とお姉さん。たしかにJALもいろいろありそうだよね。がんばれ!お姉さん。
そしてチェックインカウンターでお姉さんとおさらばし、今ラウンジでビールを飲みながらこれを書いているわけです。なんせ暇なもんで。しかし後2時間、どうしよう。昼寝しちゃうと時差ぼけになりそうだし。明後日はバドミントンの試合だから時差ぼけになるわけにはいかん!明日はオケの練習もあるし。よしビール飲みながらがんばろう!

2010年2月11日木曜日

ムーミン博物館

ついにやってきました!ムーミン博物館。フィンランドの首都ヘルシンキから北へ200km弱のタンペレという街にあります。人口では3番目に大きな都市です。ムーミン博物館には、作者トーベ・ヤンソンが親友トゥーリッキ・ピエトラたちと一緒に作ったムーミンハウスが展示されています。その他、トーベの挿絵の原画やトゥーリッキが作った物語の場面の3D模型が展示されています。
まずは原画の方ですが、恐ろしく緻密です。細い線の密度の違いだけで光と陰を表現しています。まさに職人技。そしてキャラクターたちを描く輪郭線の迷いのなさ。まったくブレがありません。でもこのブレのなさを生み出すために、何度もデッサンしていたことが分かります。トーベはこの物語を、そしてムーミンたち一人一人を、さらにはおそらくはフィンランドのものであろう景色や自然を、愛していたことがよく分かります。
そしてトゥーリッキの模型からも、トゥーリッキもトーベと同じくらい、ムーミンたちを愛していたことがひしひしと伝わってきます。人形たちの表情も、まさにその場面を彷彿とさせるほど。今にも動き出しておしゃべりしそうなほど、生き生きとした模型です。こちらも緻密な作品ですが、トゥーリッキが楽しみながら作成したであろうことが伝わってきます。
これらの膨大な展示の一角に「ダンス」をテーマにしたコーナーがありました。ムーミン物語の中で描かれているたくさんのダンスの場面を集めたものです。トーベ自身がダンスが好きであったためだと書かれていました。たしかにトーベの挿絵には動きがあります。しかしその一方でそれとは対照的な「静」もあると思います。スナフキンがハイ虫との会話できまずくなった場面、漁師が自分は灯台守であることを思い出し、ムーミン一家との間に流れる重苦しい空気などです。
さて、この博物館ですが、展示だけではありません。いたるところに子どもたちがムーミンたちの世界に入って行けるような仕掛けがあります。私が行った時にも20名くらいの幼稚園児たちが、ミイに扮したお姉さんの話に喜々としていました。子どもたちが楽しむためのストーリーがこの博物館にはあります。
今日はフィンランド最終日。今日もまたムーミン博物館に行ってきます!

2010年2月2日火曜日

馬の尻尾

コントラバスの弓の毛を張り替えました.弓とは,弦楽器の弦を擦って音を出すための道具です.コントラバスの場合,ジャズでは指で直接弦をはじくピッチカートが一般的ですが,クラッシック音楽では弓が欠かせません.私の弓はカーボン製のものと木製のものの二本.後者はかみさんが学生時代に使っていたもので,ヘルナンブコというブラジル原産の豆科の植物の茎が材料なので,正確には「木」ではなく「蔓」です.しかし,このヘルナンブコはまさに見た目は木です.こうしたヘルナンブコやカーボンの棒(弓は英語で"Bow")の両端で束ねた毛を張ってあるのが弦楽器の弓です.ネジがついていて毛の張りの強さを調節します.この毛は馬の尻尾で,この毛に松ヤニを塗り,弦にひっかかりやすくして弾きます.この毛は一年に一度くらい張り替えないと劣化して音が出なくなったり,抜けやすくなったりします.この毛には大きく「白」「黒」の二色があります.「茶」というのもあるようですが,ほとんど見ません.私のカーボン製の弓は柄が黒なので黒い毛を,ヘルナンブコ製のものは柄が茶褐色なので白い毛をはってます.黒い毛や茶色い毛は黒馬や茶馬の毛をそのまま使っています.では白い毛はというと,白馬の毛ではなく,黒や茶の毛を脱色しています.この脱色によって毛の表面がならされるため,白い毛の方が繊細な音が出ます.
さて前置きが長くなりましたが,同じオケのセカンドヴァイオリンにヴァイオリン工房を営んでいる方がいるので,その方に弓の張り替えをお願いしました.カーボンの方は買って以来およそ3年振り,かみさんのは大学時代以来の約15年振りの張り替えです.カーボンの方が戻ってきて,代わりにかみさんのを張り替えてもらっている最中です.戻ってきた弓の毛はふさふさのつやつや.それを見ただけでいい音が出そうな気がしてうきうき.と思いたいのですが,コントラバスの場合,弓を張り替えてすぐには音が出ません.松ヤニを塗ってもすぐにスカーっと上滑りしてしまいます.だからあまり張り替えたくないのです.ここ数日は松ヤニを塗ってはスカーっの繰り返し.こんなアホな楽器やめてやるっ!
一方,ヴァイオリンを習い始めたかみさんは私が大学時代に購入したヴァイオリンを使っています.こちらも購入以来一度も弓の毛を替えていませんでした.ヴァイオリンの先生に薦められた工房に持って行くと,弓の張り替えとともに楽器の調整もしてくれたそうで,確かに以前よりも格段に良い音が出ます.くーっ,またヴァイオリンに転向しようかな,と思った時,ふと思いました.もしかしてヴァイオリンの松ヤニを塗ってみたらいいんちゃう?さっそく塗って弾いてみると,なんと見事に太い音が出ました.馬の尻尾にも松ヤニとの相性があるのだとシリました.そういえば学生時代のオケの顧問がこんなことを言ってました.この方はプロオケのコントラバス奏者だったのですが,コントラバス用の松ヤニを塗った上から薄くチェロ用の松ヤニを塗ると良い音が出るんだよ,と.音楽同様,楽器もなかなか奥が深いものです.