2009年5月19日火曜日

ゆとり教育の日本

私の勤務している大学で事件がありました。理数系の基礎科目の授業に対して一年生たちの連盟による投書があったのです。出された宿題のサポートを先生がしてくれない、自分たちは「ゆとり教育」で育ってきたからサポートなしに勉強できない、というような内容でした。

ゆとり教育の目標は「生きる力」を育てることだったのではないでしょうか?他人のサポートなしには勉強できない人間を育てるのが目的ではなかったはずです。

大学はまだよいです。4年もすれば彼らは出て行きますから。しかし、彼らを受け入れる社会は大変でしょう。私もIT関連の大手企業に5年間勤務していましたが、その間に受けた様々な研修は、彼らが相手では成立しないと思います。

私自身、大学に来てから毎年1年生向けの授業を担当してきましたが、これまで授業の前提としてきた学生のスキルが、今年はまったく前提にできないことを思い知らせれています。まず、「考える」ことを嫌がります。課題を出しても思いつきだけですませますし、情報を集めてくるにしてもインターネットを検索した結果をそのまま写すだけでまったく脈絡のない情報を提出して平然としています。

もちろんそんな学生だけではありません。大学に来て、いろいろなことの関係が見えてきたと喜んでいる学生もいますし、「考えるのは学生の特権」と頼もしいことを言う学生もいます。しかし、先のような学生が大学に現れてきたことに不安を感じてしまうのです。

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