2009年5月19日火曜日

ゲシュタルト・リテラシ

「ゲシュタルト」とはあるまとまった一つのもの(全体)のことであり、部分を超えた全体性をもつとともに、その全体性によって部分の意味や機能が規定されるという特徴をもつ上の左側の図を見ると、白い目地の交差する部分がグレーに見えるであろう。このグレーに見えることも含めた図全体に対する認知が「ゲシュタルト」である。一方、同じ図の一部だけを切り出したのが右側の図である。白い目地の交差部分はほとんど白に見えるであろう。グレーに見えていたのは、我々の認知が図全体の構造から影響を受けていたためである。このことは、逆に、部分にばかり注目すると全体を見失うことを意味する。これが「ゲシュタルト崩壊」と呼ばれる現象である。
私たちは、上の左側のように、ある構造に対して、それを超えた全体を見ることのできる、いわば「ゲシュタルト認知能力」をもっている。この能力が、私たちの創造性や閃きを生み出していると考えられる。しかし、偏った情報から部分的なゲシュタルトを見いだしてしまうと、ゲシュタルト崩壊に陥り、間違った判断や理解をしてしまう。そして一度ゲシュタルトを認知してしまうと、そこから自由になることは難しい。したがって、私たちは、きちんと全体(ゲシュタルト)を認知できるような「ゲシュタルト・リテラシー」を身につけなければならない。
人は自分の関心のある情報しか認知できない傾向がる(Egocentric)。情報過多の現代では個人の関心ある情報が際限なく存在する。したがって、際限なく自分のEgocentricな情報収集を続けられる時代である。現代の社会問題の多くは、こうした自分中心の(Egocentric)考え方しかできない人たちによって引き起こされているように思える。人が、部分を超えた全体性を理解し、そこから部分同士の関係を見いだすというゲシュタルト・リテラシーを適切に働かせることができれば、様々な社会問題を解決でき、サスティナブルな社会を創造できるであろう。

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