私は「思いこみ」について研究していますが、最終的に明らかにしたいのは私たちの「意識」のメカニズムです。この「意識」と「宇宙」が深いところで関係していそうだ、というのが最近の私の考察です。
カントの「実践理性批判」の文中だったと思いますが、「嗚呼、感嘆しても感嘆しても止まぬものは、天上の星の輝きと、我が心の内なる道徳律」という文言があります。星の輝きの美しさと、私たち人間の道徳の美しさとを対比したものだと思います。しかし実は、輝く星を「美しい」と感じる主体も、道徳律を「美しい」と感じる主体も、そして道徳律を生み出しているものも、すべては私たちの「心」であり「意識」です。つまり、「宇宙」を私たちがどのように理解しているかについて考察することは、私たちの「意識」を考察することにつながると思うのです。
では、なぜ「宇宙」なのか、ということですが、それは私たち人間が人間らしい「意識」を持って以来、常に関心を持ち続け、ミクロからマクロまで、そして私たち人間を含む世界全体として、思考の対象として哲学や科学を生み出し、私たちの「認識」を高め続けてきた対象だからです。
「宇宙」を認識するアプローチには、大きく二つあるように思います。「物理学」と「宗教」です。このブログでは前者の宇宙観について考察したいと思います。
というのも、もしかしたら「宇宙」の認識については後者の方が進んでいるのかもしれません。しかし、その認識は万人が納得できるものにはなっていません。そこで、誰もが理性で納得できる科学的な根拠に基づく宇宙像を考察することによって、そのような宇宙観に辿り着いた私たちの「意識」のメカニズムの一端が分かるのではないかと思っています。
2009年5月19日火曜日
思いこみと宇宙
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